無題 ( BOOKS『境界を跨ぐと、』に掲載)

自分が何者かとわからなかったことが、とても不思議に感じた。私は私であるのだけれど、自分がどういったコンテキストの上に在る粒子であるのか、また、それを知った上で、自分は世界をどのようなパースペクティブで捉えるのだろうかと思った。自分なりに歴史という物語に近づいてみようと、祖父に戦時中の話を聞いてみた。

祖父は、時代の流れだったからということで予科練に志願した。でも上海で最後の練習機白菊が B29に撃ち落とされて、おじいさんはとうとう空を飛ぶことが叶わなかった。その後は終戦まで、回天基地の3里東で、たまに魚を釣りながら、太平洋の監視任務についていた。少し世代が上の先輩たちは、みんなとんでいったそうだ。

私に戦時中の話をしている時の、耳が遠い祖父の姿勢は、楽しげに昔を懐かしむようでもあったし、一方で、ある領域から私を遠ざけているようにも見えた。「ここは触れるな。おじいちゃんもわからないんだ。」そう語っているように感じることもあったし、祖父は歳のせいか身体的に涙腺もゆるい。別に悲しくないのに泣いているように見えることもある。多分私とおじいさんとのコミュニケーションは誤読だらけ。だから時折、私の想像も勝手に広がっていく。

私が聞いた質問について、おじいさんは聞こえないふりができるし(実際に聞こえないのかもしれないし)、私を気遣って(記憶に蓋をしているのかもしれないし、憶えていないという言葉は彼は使わなかったけど憶えていないのかもしれないし)話さないこともあると思う。

よくある映画のようなドラマチックさもない話中で私がふとクロスフェードしたのは、わからない事、知らない事は自分には関係のないという態度。これは決しておじいさんの態度について言っているわけではない。
無意識と忘却による牢屋に自らを囲い込むことによって、自分(たち)を守っている。そこは見えないし、触れることもないし、聞こえないからこそ、とても居心地がよい。私はその居心地の良さを知っているし、そのスペースに亀裂が生じ、なんだかおどろおどろしい雰囲気をまとった風が吹き込んで居心地が悪くなる瞬間も知っている。

Drawing for “It Protects Me and Isolates Me”, 2017.

明日も同じように太陽が昇り、私たちを照らしてくれると信じて疑わないことは、なんて幸せなパラダイスなんだろう。
ひょっとしたら玄関をでると、外の世界は想像と違った様相を伴っているかもしれない。

私は無意識におじいさんの答えの中に、自分のそのよくわからなかったポジションを獲得しようと、何か答えを探していた瞬間もあったと思う。これは良くない。早急すぎた。もっとじっくり考えることかなと思う。今一瞬一瞬を選択していくのに、聞くこと、調べること、感じること、想像することは、よい素材になると思う。

(本文は、BOOKS『境界を跨ぐと、』(2017年出版)に掲載した文章である。)