私が武蔵野美術大学3年生の時に配当されたアトリエは、大学の端っこで、区画壁の向こう側には朝鮮大学校の寮があり、日本で生まれ育った在日朝鮮人の同世代の学生たちが暮らしていた。当時私は、3.11 以降、周りがみんな一様に同じ方向を向いているように思えて初めて共同体を意識し、同じ土地に暮らす他者と話がしたいと感じた。彼らの存在には気づいていたものの、この時改めて認知したのだった。大学1年生か2年生の頃に、普段武蔵美へ入校する時のように、正門から朝鮮大学校への訪問を試した際は正門の受付で呼び止められ入ることができなかった。

(後から聞いたら全寮制ゆえのセキュリティ対策なのだけれども)私にとって彼らはよくわからない人たちだったのである。話したいと思っても、なんと話しかけたらいいのかわからず、私は彼らの目をひくように、彼らの暮らす全寮制の建物の目の前で、完成のない構造物などを作り続けることによって話しかけてもらうまで待つことを試みた。幸運にも彼らは「何をしてるの?」と興味を持って話しかけてくれたことからこの作品は始まった。この作品は雨の日に貸してくれた傘のお礼を渡すシーンをおさめた記録映像と日々の記録日誌を含めた作品である。

渡れるかもしれない橋
2011
プロジェクト、インスタレーション
廃材、ブラウン管モニター、記録映像、記録日誌
朝鮮大学校の寮に塀越しに接する武蔵野美術大学の端